人の一生は
人の一生は
重き荷を背負いて 遠き道を行くがごとし
急ぐなかれ
という言葉を聞いたことがありますか?
徳川家康の言葉です。
みんなそれぞれ、いろいろな苦労や悲しみを経験しながら生きてきているんですよね。
同じことを経験しても、その人によって感じ方や捉え方が違います。
たとえば、何人か乗っているエレベーターが途中で突然止まったとしたら・・・
なんでこんな目に合うんだよ~!!と嘆く人もいれば
いったいメンテナンスはどうなっているんだ!!!と怒る人もいるだろうし
地震の時じゃなくてよかったと不幸中の幸いを喜ぶ人もいれば
こんな経験はなかなかできないと捉える人もいるでしょう。
以前にエレベーターが止まってしまった経験がある人は冷静に「緊急ボタン」を押して対処するかもしれません。
もし狭所恐怖症の人がいたら、その人にとっては耐え難い苦しみでしょう。
あなたはどんな感じですか?
自分の意思とは関係ないところで人生が変わってしまうことがある
私は、エレベーターが止まった場に居合わせたことはないんですが、ビルの8階にいたときに大地震に遭いました。
そう、あの東日本大震災です。
生まれ育った土地が三陸地方なので地震には慣れていましたが、言い表すことが出来ないほどのとんでもない揺れでした。
全館停電になり真っ暗な中、警備員さんが誘導し、みんなで声を掛け合って揺れるビルの非常階段を下り、なんとかビルを出ることが出来ました。
みんないるか?とそれぞれ名前を呼びあい、8階の人全員が脱出したと確認できたとき「よかった!」と喜び合いました。
後で家族と避難所で会うことも出来ました。近所の人たちも無事でした。
とんでもない地震だったけれど逃げることが出来たのは、平日の午後、みんな活動中だったから。
これが夜中だったら逃げられなかったと思います。
大地震の後、あの大津波が多くの命を呑み込んでしまいました。
私の故郷の思い出の地も親戚も友人も波にさらわれました。
あの大震災で多くの人の人生が激変しました。
一瞬にして家も家族も職場も失った人がたくさんいました。
人生には、自分の意思とは関係ないところで大きな力が働き、その力に抗うことなど不可能で、受け入れて生きていくしかない場合もあります。
それが「重い荷物」となるのかもしれません。
どんな人生でも、その人の人生はその人のもの
その人の人生は、どんな人生であっても、その人だけに与えられた特別なものだから、自分の荷を人に任せることはできないし、他の人の荷を担ぐこともできません。
自分で、その人生が自分にある意味をなんとかして見つけていかないと荷物がどんどん重くなるだけです。
「どうしてこんな目に遭うんだろう」
「自分ばっかり苦しんでいるみたい」
なんてぶつぶつ言いながら生きていくのでは、荷物が重くてどうしようもなくなります。
「どこかでひと休みして美味しいもの食べよう。それまで頑張ろう!」とか
「あの人はどんなものを担いでいるのかな?自分と似てるみたいだから声かけてみよう」とか
小さなことでもいいから、楽しみを見つけていくと荷物が少し軽くなるんじゃないかと思います。
あなたが背負っている荷物は、あなたの意識で軽くできる
あなたの人生で背負っている荷物は、どんなに重いものであっても、あなたの意識で軽くすることが出来ます。
逆にさらに重くすることも出来るんですよ。どちらでも選べます。
たとえ抗うことのできない力によって与えられた「重い荷物」であっても、それはあなただけに与えられたものです。
そして、荷物の中には「宝物」が隠されています。
どんな人の荷物の中にも必ず入っているんですよ。
人生は、「重き荷」を背負い
自分だけの「宝物」を見つけるための旅のようなものだと思います。